豊明市スマホ条例が問いかける、心の痛み”と“つながりの再設計
ジャーニー、アドバイザーでインターネットポリシースペシャリストの宮崎豊久です。
愛知県豊明市で「スマートフォン等の適正使用の推進に関する条例」が制定されました。
余暇時間の利用は1日2時間を目安に、夜間の使用も控えましょう、という趣旨は、生活を見直す合図として一定の意味をもつと受けとめています。一方で、「規制すれば隠れて使うだけでは」「家庭の領域に踏み込みすぎでは」といった声が上がるのも自然です。インターネットポリシーの立場から申し上げるなら、このテーマは技術の作法というより“心のケア”と社会のつながりの話として捉え直す必要があります。
スマホはストレスコーピング、心の「避難所」になっています
私たちは不安や退屈、孤独や焦りを抱えたとき、無意識に心を落ち着かせる行動をとります。心理学ではこれをストレスコーピングと呼びます。現代において、もっとも手軽で即効性のあるコーピングの一つがスマホです。タイムラインを眺め、短い動画でほっとし、通知音で「誰かとつながっている」感覚を取り戻す、それらは単なる暇つぶしではなく、心のバランスを整える小さな手当てになっています。
ですから、スマホは多くの人にとって「悪習」ではなく「避難所」。ここを見落として「やめなさい」だけを先行させると、別の痛みが強まってしまいます。
規制は地下化を招きます。
規制を強めると、多くの場合、利用は隠れて続きます。布団の中でのこっそり利用、別アカウントの作成、家族の目を避けた断続的な接続こうした振る舞いは、モラルの欠如というより「どうにか心を保とうとする防衛反応」です。
隠れて使う状態が続くと、罪悪感と孤立が募り、かえって依存的な使い方が深まりやすくなります。監視や禁止は、短期的な抑止になっても、長期的な自律にはつながりにくいのです。
依存の中心には「痛み」があります(自己治癒仮説)
米国の精神科医カール・カンツェアンは、自己治癒仮説(Self-Medication Hypothesis)を提唱しました。要点は、「依存は快楽の追求ではなく、感じたくない痛みを和らげる自己治療の試み」ということです。
この視点をスマホに当てはめると、過剰な利用の背後には、寂しさ・承認されない苦しさ・無力感・先の見えない不安といった“痛み”が横たわっています。通知やスクロールは、その痛みを一瞬だけ麻痺させてくれる応急処置です。だからこそ、使用時間だけに焦点を当てても、根っこは変わりません。「なぜ今、スマホに手が伸びたのか」をともに言葉にしていくことが欠かせません。
問題は「時間」ではなく「心の余白」と「つながり」の不足です
「1日2時間」という目安は、生活リズムを意識化する助けになります。ただ、本質的な課題は心の余白のなさとつながりの不足です。仕事や学業に追われ、家庭や地域でゆっくり語り合う時間が細り、気持ちを受け止め合う場が減っていく。その結果、スマホが最も手近な安心の供給源になっていきます。
つまり、スマホ問題はデジタルの技術問題というより、安心を生む関係の問題です。
ソーシャルキャピタルの視点 信頼の貯金を取り戻す
人と人の信頼・互酬性・ネットワークの総体は、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)と呼ばれます。これが豊かな地域では、困ったときに相談でき、感情を分かち合い、助けを求めやすくなります。逆に細った社会では、孤立と不安が増し、代替の承認をデジタルに求めがちです。いいね、はときに、失われた信頼の擬似通貨として機能します。
豊明市の取り組みが実効性を持つためには、個々人の節度以上に、地域全体の「つながりの再生」を見据えることが重要です。スマホより心強い“居場所”があるとき、人は自然に画面から顔を上げられます。
条例を「禁止の杖」ではなく「対話のきっかけ」に
理念条例としての「目安」を合図に、次の一歩を具体化したいと思います。たとえば
家庭での小さな対話:「どんな気持ちのときにスマホを触りたくなる?」を親子で言葉にします。
学校での安心サークル:SNSでつらくなった経験や、助かった経験を安全に共有できる時間を設けます。
地域の相談と居場所:親子が気軽に立ち寄れるメディア相談窓口や、世代を越えて雑談できるコミュニティカフェを整えます。
コーピングの代替案を増やす:散歩・軽運動・読書・創作・ボランティアなど、心を整える選択肢を地域で紹介し合います。
「やめる」だけでは空白が生まれます。「その代わりに何をして心を守るか」をセットで用意することが、持続的な変化につながります。
スマホを敵にしない姿勢が、自律を育てます
スマホは、心の状態を映す鏡でもあります。つらいときほど通知を待ち、疲れているほどスクロールが止まりにくくなります。そんな自分に罪悪感を重ねるのではなく、「それだけ今の自分はしんどかったんだ」といたわる視点が大切です。自己理解は自律の第一歩です。
ルールは“安全柵”として活かしつつ、主役はあくまで対話と支え合い。規制が必要な場面もありますが、最終的に人を支えるのは「一緒に考えてくれる誰かの存在」です。
おわりに、痛みの理解とつながりの回復が予防になります
豊明市の条例は、「数字を守るかどうか」を競うものではないはずです。むしろ、「なぜ私たちはここまでスマホに頼るのか」「スマホ以外でどう心を癒すのか」を、家庭・学校・地域で話し始める合図だと受けとめたいのです。
カンツェアンの自己治癒仮説が示すように、依存の中心には痛みがあります。その痛みに気づき、受けとめ合える関係、すなわちソーシャルキャピタルを育て直すことが、もっとも人間的で、持続可能なスマホ対策になります。
「スマホを減らす社会」ではなく、「心が癒され、つながりが育つ社会」へ。
その道のりをご一緒に考え、具体の場づくりと仕組みづくりに知恵を重ねていきたいと思います。
(文:宮崎豊久/インターネットポリシースペシャリスト)






