小学1年生から3年生までの担任の先生は、私の父(医師)のかかりつけの患者さんだったことがありました。
小学生の頃の私は優等生で、その先生に何でも頼まれ、学級委員や代表など、常に目立つ役割を任されていました。ところがある日、帰りの会で一人のクラスメートが手を挙げ、「先生は道子ちゃんをひいきしている」と発言しました。
突然のことに驚きながらその場で立たされ他のクラスメートからも批判的な視線を向けられました。何が起こっているのか分からないまま、ただ立ち尽くしていたのを今でも覚えています。
その日を境に、担任の先生の態度は一変しました。先生は私に対して非常に厳しくなり、何日も椅子を与えられずに一日中立ったまま過ごしました。給食も立って食べました。「毎日床を雑巾で拭きなさい」と言われ一生懸命拭きました。どんなに謝っても許してもらえることはありませんでした。
それでも私は、親にはそのことを話しませんでした。子どもながらに、先生と親との関係を壊してしまうかもしれないと感じ、申し訳ないと思っていたのだと思います。
母からは、保護者会で「先生が道子ちゃんをひいきしていると聞いた」と報告されましたが、私はそれ以上の心配をかけたくありませんでした。その一言だけで充分でした。
4年生になる時、新設の小学校に転校することになりました。お別れ会の日、先生は笑顔で私の手を握ろうとしましたが、私はその手をさっと振り払い、小学校を後にしました。それが、私なりの精一杯の反抗でした。
後に父から、「先生が“道子ちゃんは勝ち気な子だ”と言っていたと聞いたよ」と笑いながら話していましたが私は何も返しませんでした。
今思えば、大人にとってはほんの些細なことだったのかもしれません。でも、あの時の経験は、私の心に深く刻まれ、今でも忘れられない記憶です。
今私は、子どもたちに接する時、「大人にとっては小さなことでも、子どもにとっては大きな傷になるかもしれない」という気持ちを常に心に置いて、細心の注意を払いたいと思っています。
相手が子どもであっても、一人の人間として、対等な立場で本音で向き合いたい。そう思えるようになったのも、あの時の経験があったからこそだと感じています。
この小学校での思い出があるからこそ、子どもたちの一生懸命な姿を心から「かわいい」「すごい」と感じ、称賛する気持ちが自然と湧いてくるのです。
人生に決して無駄な経験はないと信じています。